町民の証言「あきらめ、矛盾、交錯する思い」
夫沢3区住民 富田 英市さん
自宅は大熊町の夫沢3区にあり、区長をしています。行政区98世帯のうち25世帯ほどが中間貯蔵施設の建設予定地に含まれます。私の自宅は予定地外です。境界からは200mほどしか離れていません。
震災後2、3年ほどは、町に戻りたいという気持ちが8割以上ありました。契約する、しないの自由はあるとはいえ、中間貯蔵施設の予定地内の人たちは土地家屋を失うわけだから気の毒だと思っていました。でも、6年近く経過した今も私たちの行政区は放射線量が高いまま下がらない。
家屋や周辺が荒れ果てていくと、段々に一時立ち入りしてもよその屋敷に入ったようで、懐かしいという思いも薄れてしまいました。今はもう帰ることは出来ないと思っています。中間貯蔵施設とは言わなくても、行政区全体を借り上げるなりしてほしいというのが正直な気持ちです。
2年ほど前にいわき市に家を構えましたが、復興拠点の大川原地区に戻れるようになったらまた町内で暮らしたいという気持ちはあります。一方で、大川原の様子を見ていると、廃炉関係の会社の活動が目立ち、「これは元の大熊の雰囲気ではない」という感じもする。複雑な所です。せめて墓はふるさとに残しておきたいので、自宅近くの共同墓地から大川原に移す予定でいます。今はお墓参りするたびに防護服を着てマスクをして、とてもやりきれない思いがするからです。
自宅に帰ることは諦め、手放したいと思いながらも大熊との繋がりを失いたいわけではありません。中間貯蔵施設の予定地の人たちは自分の先祖から受け継いで来た土地家屋がなくなってしまうわけだから、それは自分のルーツが途切れてしまうようなものではないかと、やはり気の毒に思うのです。
矛盾していると言われればその通りです。自分の代で手放すのはご先祖様に申し訳ないという気持ちと、でもこれは震災と原発事故によってこうなったんだから仕方ないっていう諦めと、いろんな思いが交錯している状態です。
今も年に1度は区の総会を開き、昨年は50世帯70人ほどが集まりました。予定地内の人も外の人も来ますが、わだかまりなく、むしろ互いを心配しています。それぞれに気の毒だと。今までより仲良くなった気がするくらいです。私も中間貯蔵施設のことは全体の問題として考えてほしいと言ってきました。行政区は家族のようなものですから。
大熊は今後も町として残って欲しいと思います。自宅を諦めた今、町が「私が大熊の人間であった」という証なのです。
(2016年12月聞き取り)