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町民の証言「復興のために受け入れた、中間貯蔵施設」

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年6月13日

小入野区住民 根本 充春さん

根本充春さん

震災当時から小入野地区の区長をしています。小入野地区は全域が中間貯蔵施設の建設予定地になっています。

2011年のうちに国から施設建設の話が出た時、住民たちは反対しました。その頃には住民たちは一時帰宅で町に入り、自宅周辺の放射線量の高さを確認するなどして、それぞれ「すぐに帰れる場所ではない」と分かっていたと思います。でも、だからと言って施設を受け入れるかというと、すぐに気持ちは切り替わらない。仕方がないと踏ん切りがつくまでに私もほかの住民も2、3年はかかった気がします。

国の説明会にはすべて出席しました。現在に至るまで、町独自で地権者に対する説明会を開かなかったことは未だに残念ですが、最終的には、中間貯蔵施設建設予定地に含まれる8地区の区長が協議し、町長に受け入れの判断を要請しました。受け入れるか受け入れないのか決まらないと住民はいつまでも前に進めない。とにかく白黒はっきりしてくれよ、という気持ちでした。住民の中には「反対だ」という人もいるかもしれません。でも、大多数は「もう決めてくれ」と考えていると区長として肌で感じていました。

私が中間貯蔵施設を受け入れたのは大熊町の復興のためです。平成28年9月には中間貯蔵施設に関連し、廃棄物減容化のための焼却施設も小入野地区で受け入れました。除染を進めるに伴い家屋などの解体がれきは増えるでしょう。減容化が必要だとしたら、それは町内で放射線量が低い場所ではなく私たちの地区でやるよりないだろうと、区の総会ではそう説明しました。

「土地を買ってもらえて良かったじゃないか」と簡単に口にされる人もいますが、自分が生まれ育ち、暮らしてきた場所・建物がすべてなくなって、立ち入りすらできなくなることを想像できますか。復興拠点のある大川原地区では除染がされ、昨年には特例宿泊も認められました。分かっていることとはいえ、言葉では言い表せない思いがします。

我々には除染も宿泊も今後絶対にあり得ないから。置いて行かれるというか一歩一歩、町が遠ざかっていくような気持ちです。私たちは町の復興のために故郷をなくします。地権者の気持ちを踏まえて復興を進めて欲しいと思います。

せめて町には今、まだ町並みが残っているうちに中間貯蔵施設の建設予定地を撮影しておいてほしいと求めています。記憶の中にしか存在しなくなる故郷を、せめて記録に残してほしいのです。

(2016年12月聞き取り)

 

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