大川原地区に生まれ育ち、ずっと暮らしてきた佐藤右吉さん。
震災によって避難生活を余儀なくされるも、故郷への愛着は薄れることなく町内パトロール隊の一員として足繫く大熊町に通いました。
その中で出会った「ざる菊」。
個性的なかたちと鮮やかな色彩に惹かれ、「大熊町を訪れる人たちの目を楽しませる存在になれば」と佐藤さんはざる菊を育て始めます。
大熊町を愛し、人とのつながりを愛する佐藤さんは、大川原地区での準備宿泊が認められた2018年4月に、大熊町で一番最初の帰町者となりました。
秋の大熊町を訪れると、町のあちらこちらでぽわぽわとまあるいかたちの鮮やかな色彩に出会います。
赤に黄色、紫にピンク、白。
数千もの小さな菊の花が、ざるを伏せたような半球状にまとまって咲く、「ざる菊」です。
「震災が起きて、10年近くは避難生活を送りました。最初は、昔務めてた会社がある新潟の柏崎に行ったんだけど、やっぱり県外で暮らしてると大事な情報が入ってこないし、何だか寂しくなっちゃってね。それで、会津若松へ。会津若松では同じ大熊町から避難してきてる知り合いが周りにいっぱいいたから、仮設住宅暮らしも楽しいな、と思えたぐらいでした。そんななかで、2012年12月に日中の町への立ち入りが認められるようになると、心配事が出てくるわけです。無人の家を狙ってよくない人たちや不審な車が横行するんじゃないか、って。それで有志を募ってパトロールに行くことにしたわけです。会津若松から、150㎞の距離を2時間かけて通ってね。その道のりの途中だったの、ざる菊を見つけたのは。田村郡の常葉町を通りがかったときに、“見たことない花が咲いてるな、きれいだな”と思って、その畑の人に訊いたら『ざる菊っていうんだよ』って教えてくれました。わたしの家の周りはみんな家族同然の近所づきあいをしていて、パトロールもひとつひとつの家を丁寧に見て回っていました。それなのに、草ぼうぼうの殺風景では何だか楽しくないよな、と思っていて。うちの庭園に何か新しい花でも植えて、せめて眼だけでも楽しんでもらえたら、と考えていたので、ざる菊との出会いはとっても良かった。“うちの近所にはない花だな、植えてみようかな”と思って株分けをお願いしたら、今年はもうおしまいだから来年おいで、って言ってくれてね。それで、次の年に20株を分けてもらって、うちの畑に植えて増やし始めたんです」
黄色を筆頭に赤や白、ピンク、紫など鮮やかな色彩がこんもりとドーム状に咲く「ざる菊」
若い頃は東京電力の関連会社に勤め、定年後は坂下ダムの管理に携わっていた佐藤右吉さん
佐藤さんの庭園は広大。まだ何もない場所にもこれから新しい花や樹木を植えていく予定です
町内の見回りの傍ら、自分の家の復旧や庭の整備を始めた佐藤さん。
それは、「必ずここへ帰ってくる」という意思の表れでもありました。
「あるとき自宅の様子を見に来たら、作業員の皆さんが一所懸命除染をしてくれてたの。それこそ屋根瓦の一枚一枚まで丁寧に拭いて。それはもう感心してジーンとくるほどで、“ああ、これなら絶対に帰ってこられる、またここに住める。住まないなんて言ったらバチが当たる”って思いました。(佐藤さんの家がある)大川原が復興拠点になるという話も出ていたし、だったらもう、避難指示が解除されたらまっさきに大熊に戻ろう、と」
以来、週に3日の24時間3交代制で町内パトロールを続けながら、佐藤さんはざる菊を育て始めます。
大川原地区での準備宿泊が認められたのは、2018年の4月。
大熊町で一番最初の帰町者として自宅での生活を始めた佐藤さんを迎えたざる菊は、500株にまで増えていました。
朝露の降りた庭で、佐藤さんはさまざまな植物を丹精
大熊町のざる菊は10月半ばから11月半ば程までが見ごろのシーズン
20株から育て始めたざる菊が、今や町内のさまざまな場所で愛されています
「株分けしたざる菊を道路脇に植えたら、通る人通る人みんなが『それは何ていう花ですか』って声を掛けてくるんだよね。そこから話が広がってうちの庭も見てもらったり、『うちでも植えてみようかな』って言う人に株分けしてあげたり。写真を撮っていく人もいっぱいいたし、撮った写真を送ってくれる人もいる。花の力はすごいね。会話を生むし、人を呼ぶ。せっかく来てくれるんだから、と、庭づくりもうんと楽しくなって、いろんな花にも挑戦したり、こうしてあずまやを造ったりしています」
現在、佐藤さんの庭園にはざる菊以外の花や果樹もたくさん育っており、あずまや、流木や古い農機具を使ったオブジェなどが訪れる人を迎えてくれます。
佐藤さんの家に残された古い農機具や流木を使った休み処や庭に点在
作品にまつわる佐藤さんとの会話を楽しみにたくさんの人が訪れます
ざる菊はもちろん、四季折々の花や緑、果樹が楽しめます
「2019年の4月には大川原に建てた新しい役場も開所して、2021年にはLinkる大熊やコンビニ、飲食店もできた。わたしにとっては震災前よりかえって便利になったぐらいですよ。ご近所さんも戻ってきたし、役場の近くに新しい住宅街ができたでしょ?そこに戻ってきた人たちもずいぶん増えたし、町が明るくなったよね。『大熊町立 学び舎 ゆめの森』ができたのもよかったなあ。子どもたちの声が聞こえるようになったのがとても嬉しい。ここ7、8年、子どもの声なんて大熊で聞けなかったから。ここにも先生と一緒に散歩がてら遊びに来てくれてね、みんな、かわいいんだ。『右吉っちゃん、右吉っちゃん』て呼んでくれるんだよ。あの子たちが大熊で育って、大人になっても大熊で暮らしてくれたらいいな、と思います。その時、町が花でいっぱいになっていたら嬉しいですね」
「子どもたちの声が聞こえること、子どもたちが遊びに来てくれることが何よりうれしい」と佐藤さん
佐藤さんのお宅への道は、このユニークなデザインの植木が目印