氏名 | 山田 美喜雄 |
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年代 | 60代 |
出身地 | 福島県 |
勤務先 | おおくままちづくり公社 |
勤務開始月 | 2021年2月 |
職種 | コミュニティづくり |
家族構成 | 両親と妹 |
私は、20代から定年まで福島民友新聞社に勤めていました。仕事内容は主に福島県内の地元テレビ局の話題や番組欄の紹介、映画を中心に音楽、美術など文化的な題材を取材して記事にする文化部の記者をしていました。
「絆づくり」という事業を担当し、町内および避難先でのコミュニティ活動の支援をしています。各コミュニティ団体の役員会に出席して交流会日時が決定したら広報記事を作成します。募集人員が定員に達するようにお手伝いし、交流会当日は集合写真の撮影と広報掲載、そして交流会の運営協力などを行っています。補助金で活動しているため、コミュニティ団体の中では4月に役場に提出する活動実績報告書のお手伝いをしている団体もあります。
日本酒「会津娘」で知られる高橋庄作酒造店が大熊町の酒(帰忘郷)を仕込むという情報が2020年の秋に報道され、大熊町への認識を新たにしました。さらに、南相馬市市民活動サポートセンターの仕事をきっかけに地域支援という仕事があることを知って、ハローワークを通じて大熊町での求人を知ったことがきっかけです。
大熊町役場が大熊町の大川原地区に役場庁舎を構えて以来(2019年)、年ごとに風景が変貌していることです。その中で各コミュニティ団体がそれぞれ交流会を計画し運営していますが、町民の方がゆるやかに連帯しつながっていると感じることです。さらに、コミュニティ活動をしている方は精神的な若さを維持していると感じることなどが印象に残っています。各コミュニティ団体の交流会は、町民意識の醸成に役立っていると感じています。
コミュニティ関連の支援という枠組みにとらわれず、多方面で活動をしていきたいと思っています。
原発事故があり、役場庁舎が町に戻ってくるまでは大熊町に人が住めないのではと感じたこともありました。しかし、浜通りイノベーションコースト構想の促進により福島県で今後最も発達する可能性のある地域となったことで、その移り変わりを今後も注視したいと思っています。
日本の歴史を語る上で欠かすことのできない、東日本大震災と原発事故のあった町として「歴史遺産」的価値のある地域として存続していってほしいです。
今後、ますます最新のモノ、ヒトが集まる地域になると思いますので、刺激ある体験がしたい方はぜひ大熊町へお越しください!