前職は新聞記者。長崎県の離島に生まれ育ち、アメリカの大学に進学し、帰国して新聞社へと入社。
以来、全国を飛び回り記者活動を続け、東日本大震災が起きてすぐの2011年春からは警視庁担当として活躍した喜浦 遊さん。
3年目、異動を願い出た彼女に下った転勤辞令が、福島県でした。
「2013年10月、新聞記者として配属された福島でしたが、その時の自分には東日本大震災に対する報道人としての使命感みたいなものはまったくありませんでした。単純に、以前の職場での仕事はやりきった感があったので、どこか別天地で仕事をしたい、それがたまたま福島だった、というだけです。それまでのわたしは事件担当としていっぱいいっぱいで仕事をしていたので、原発事故や放射線の問題などについてはあまり関心を持たないままやって来てしまった。けれど、いざ福島に住み、福島支局で報道に携わるとなると、震災、原発事故に対する報道が日常であり、基本。私が担当していた会津地方には、大熊町の方々が役場ごと避難していた。なので、自然と大熊町の状態や人々の様子も、目の当たりにするなかで、大熊町のことはもちろん、もっとシンプルに“福島のことをもっときちんと知りたい”という気持ちが強くなっていったんです」
2019年にできた大熊町役場庁舎のホールにて
「福島をちゃんと知りたい」。その気持ちが喜浦さんを動かす
喜浦さんが新聞社を辞め、大熊町職員へと転職したのは2016年の4月。
新聞社ならではの数年ごとの異動の時期を迎え、「もうちょっと福島にいたいな」と思う気持ちに逆らわず、取材先のひとつだった大熊町役場に応募の書類を送ったといいます。
「町役場に就職して何がしたいのか。その問いかけに、“わたしは町史の編纂がしたい”と言いました。対応しなければいけない課題がたくさんある中で、震災の記録は最優先事項ではないと思うんです。でも、いま取材をしながらちゃんと残さないと、正確な記録として残らなくなってしまう。だからわたしは町史編纂を担当したい、と。2016年当時は、ようやく中間貯蔵施設への搬入受け入れが決まって、第二次復興計画が動き出したばかり。大熊町の“これまで”と“これから”をここでちゃんと記しておきたい、と思ったんです」
大熊町職員として転職を果たした喜浦さんは、仮庁舎のある会津若松を拠点にたくさんの役場職員や大熊町民を訪ね、話を聞き、震災記録誌に纏めます。
町民とともに歩む大熊町の町政が、どのように立ち上がってきたか、そしてこの先どう進んでいくのかをつぶさに記録した一冊です。
役場職員としての喜浦さんの仕事は多岐にわたる
町民の方々の家を訪ねることも多く、直接の対話を大切にしている
「2019年の4月に今の新しい大熊町役場が開庁して、家も大熊町内の住宅に引っ越して、わたしもようやく大熊町民になれました。それまでは、会津若松市民でしたから。ずっと、大熊町の町民として町の中から大熊町を見つめたかった。何もないところに庁舎が建って、Linkる大熊ができて…、という状況を日々のこととして見ていたから、いま“何かがなくて困る”とは感じないんですよね。むしろ、小さいけれど着々といろんなものが出来てきて、住む人たちの顔ぶれが増えてきて、そのひとつひとつがすごく嬉しいです」
ただ、と前置きして喜浦さんは続けます。
「大熊町に限ったことではないですが、やはりこの地域のことを考えるうえで、ここは“震災後”の土地だ、ということは大前提になると思うんです。何もなかった場所じゃない。一度は汚染されて、除染して、今も線量を日々測りつつ、より安全に暮らせるように対策を続けている場所。それだけでもう、移住へのハードルは低いですよ、とは言えないですよね。過分なる便利さを望まれても、それも今は無理ですよ、と。でも、ここ最近、とても軽やかに大熊に住むことを選んでいる人が増えているのも事実です。そこまで期待値が高くなくて、被災地だということにもこだわり過ぎることなく、暮らすことを楽しんでいる。それは町にとってもいいフェーズに入ってきたな、と思います」
異色の経歴を持つ喜浦さんは取材を受けることもしばしば
自らの言葉で、外側・内側両方の視点で町を分析し、紹介する
喜浦さんをはじめ町職員の有志で発行していた「大川原LIFE」では、大川原地域を中心とした町民の暮らしやトピックを月に一回のペースで紹介。
手書きの文字、あたたかな文体で認められた記事は、多くの町民に親しまれていました。
「いろんな人が住むのがまちだから、働くことの選択肢はもっと必要だなあ、と個人的には思いますね。大きな企業がドーンと誘致されることももちろん必要だけれど、小さくても多彩な生業がたくさんあるといいな、と。そして、個人色の強い飲食店やショップといったカラフルな商いが増えてきたら、いろんな志向の方たちが働けるまちになる。それが楽しみですね」
気になること、伝えたいことを「大川原LIFE」に率直につづり、届けてきた
大熊町民として暮らしながら、まちのあらゆる魅力を定点観測